台北-沖繩 伝統芸能交流 

5月12日(土) 読谷村座喜味城址  
5月13日(日)  沖縄県立博物館・美術館 講堂
 
 

 

台北-沖繩 伝統芸能交流・読谷座喜味城址
2018 年 5 月 12 日(土)  時間:16:00~
場所;読谷村座喜味城跡 
※天候不良のため、座喜味公民館に会場が変更になりました。
沖縄県中頭郡読谷村字座喜味154)
入場無料

渡慶次獅子舞クラブ
琉球王府路次楽
永樂聴
座喜味棒(座喜味区芸能団体)

台北市和華楽社
座喜味エイサー 他
お問い合わせ:座喜味公民館 098-958-2228

 

世界遺産座喜味城址


 
  • 台北-沖繩 伝統芸能演奏交流・講座 那覇

    2018 年 5 月 13 日(日)

    場所:沖縄県立博物館・美術館 講堂

  • 料金:入場無料

    開場:13:30

    一部14:00~

    演奏・舞踊:琉球王朝禮楽御座楽研究会・玉城流翔節美智子乃会

    講座:⻑嶺亮子  (沖縄県立芸術大学 芸術学博士)

       前川美智子(玉城流翔節美智子乃会会主)

    二部15:00~

    講座:蔡逸璇(大龍峒金獅團首位女弟子)
    北管・台湾においての発展と影響

    銘峰(永楽聴・芸術総監)

    演奏:台北市和華楽社

沖縄県立博物館・美学館 講堂

指導:中華民國文化部、中華民國外交部、僑務委員會,Overseas Community Affairs Council
主催:台湾城市國際文化交流協會 、台北市和華樂社 、台北市大龍峒金獅團
共催:琉球王朝禮楽御座楽研究会、玉城流翔節美智子乃会、読谷村、座喜味区、永樂聴
協力:沖縄産業振興公社台北事務所、沖縄小林流空手・古武道 妙武館 読谷支部道場、
沖縄県立博物館・美術館支援会happ、惠中布衣文創工作室
企画・制作:台湾城市國際文化交流協會・你好我好有限公司
後援:中華民國自閉症適應體育休閒促進會

[文化同鄉:琉球と福建]

沖縄は以前琉球王国でした。地理は中国の南方に近く、両地の付き合いは密接でした。 1372年に、楊載は明朝の大使として、琉球に行くとを命じられました。これは明朝初めて大使を琉球に派遣し、これに応えた琉球は、察度の使者として、読谷から出航し明国へ進貢したのが『泰期』でした。以降、琉球は中国の朝貢国として交流しました。明朝は両国の交通の発展と交流を深めて行くため、航海技術を持つ閩人三十六姓を琉球に贈与しました。閩人は琉球「唐營(久米村)」に住むようになります。琉球は朝貢を通し、文化や技術を吸収しながら、東南アジア諸国や日本とも貿易をし発展していきました。


[福州と琉球]

福州港と琉球那覇港の朝貢航路は、中国の長樂廣石港、閩南鎮、五虎門、あるいは東沙から出発し、雞籠頭(基隆)→花瓶嶼→彭家山(彭佳嶼)→尖閣諸島(釣魚台)→久場島(黃尾嶼)→大正島(赤尾嶼)を経由し、久米島(姑米山)、慶良間島を通り、那覇港に着きます。

中国から琉球への航路は東沙、白犬、官塘の海域からも、台湾北部海域を経由し、琉球に行ったといわれています。運行日数は風向きなどの条件により、最短は4日、通常は7日—10日余りくらいで那覇港に着いたそうです。


[福州と台灣]

冊封使の船は福州から琉球へ出発し、両地は同じ緯度にあるので直線で東へ進めばたどり着くはずですが、出発後、南寄りに前進し、航路中に位置確認するため、諸島を経由します。小琉球も航路の中に入り、次は雞籠嶼(基隆)、嘉平山など各島を通過します。1534年、冊封使の陳侃は「遠くから見えた島は小琉球である。」と述べられています。この時期に近代初期中文文献の中で、初めて台湾を発見した記録です。
台湾には、小琉球(台湾南部)という離島がありますが、1616年福建巡撫の報告には台湾北側を位置する「雞籠(基隆)・淡水が小琉球と呼ばれている」と書かれています。


 


[大龍峒保安宮(台北市保安宮)]

明朝の鄭成功時期(1662年頃)から、漢人が開墾したのは主に台湾南部でした。
台湾北部または台北盆地の開墾は少し遅く、1700年代に入り開拓されました。
大龍峒保安宮は、1742年に、泉州同安の移民がその故郷の白礁慈済宮から、保生大帝を祭る台湾道教のお寺で、福建省同安出身の創立者によって、「保佑同安」という意味から「保安」と名づけられました。
保生大帝とは、呉偉本という実在の名医を神格化した神様で、病気回復、健康長寿を祈れば効果絶大と言われています。
福建から移民して台湾を開発するのに伴ない、『大龍峒保安宮』の民間信仰が広がりました。台北の三大寺院は、道教の保安宮と行天宮、仏教寺院の龍山寺がありますが、大龍峒保安宮は2003年に、UNESCOからアジア文化資產として認證されています。
 

 大龍同保安宮(台北市保安宮)

http://www.baoan.org.tw/JAPAN/index.html
 

保生文化祭

https://www.baoan.org.tw/html/Brief/brief.asp
 
 


大龍峒保安宮(台北市保安宮)


[北管について]

今回、沖縄にお伺いするのは、漢族伝統音楽の中で、『北管』という音楽を演奏する団体『台北市和華樂社』です。台北市大同区に位置する寺院。『大龍峒保安宮』を拠点に活動しています。
台湾の伝統音楽は大きく分けて3つ(1、原住民音楽 2、漢族伝統音楽 3、客家伝統音楽)に分けられます。
漢族伝統音楽に属する北管は、今では台灣各地にありますが、北管のもとは、長江の北側から南に渡ったといわれています。今回ご紹介する北管は、中国福建省からの流れですが、現在、福建、漳州には、ほぼ北管の伝統が残ってないといわれていますので、北管は台湾に残されている特有の伝統音楽と言えます。神行事や催事のときに演奏することが多く、メロディーは鮮明で、スピードも速く、銅鑼と太鼓により柔軟に変化を与え、にぎやかな雰囲気を加えます。
※くらべて南管は、弦楽器がメインで、穏やかで風雅な音楽です。劇曲の演目に多く使われています。


 [台北市和華樂社(北管楽団)]

大龍峒 和華樂社は、1927 年に結成しました。その時期は日本統治時代 なので、大和の「和」、中華の「華」と命名された北管の団体です。 当時は地域の青年等に呼びかけ、伝統芸能を勉強し、各地のお寺で演奏し ました。戯曲には「白字戲」という中国地方の方言を使う演出があります。 和華樂社は伝統芸能を継承させるという目的で活動しています。約 1950 年に北管に転換し、現在は大龍峒保安宮の祭事で演奏しています。

LinkIcon台北市和華樂社 facebook

 


台北市和華樂社

[台北市大龍峒金獅團 (台北市伝統芸能文化資産)]

二百年余り前に結成された「大龍峒金獅団」は、台湾で最も古い獅団です。獅子・音楽・武術・芸術を組 み合わせて演出を行います。大龍峒地區の方々の支えにより受け継がれてきました。1928年、日本兵庫県にて開催された阪神博覧会に参加したことがあります。現在の団長、李世沢さんが率いる獅団は、様々な展覧会、民 俗芸能活動に参加しており、国際公演にも招かれています。日本統治時代、總督府は地方の秩序を保つために、各地の獅子団体を「武德會」として定めていました。1901年臺灣神社落成の際、各団体は「台北 縣武德會演武陣」として演舞を行い、その中でも龍峒獅の演出は特別の評価を受けました。
昔から、町を見守っていた獅子団は、獅子舞の競技や獅 子頭工芸の伝承にも取り組んでおり、現在、台北市「伝統芸術文化資産」 に登録されています。

 
※大龍峒金獅団は、5月13日、蔡逸璇(大龍峒金獅團首位女弟子)さん講演内での活動紹介になります。
 
台北市大龍峒金獅團
https://www.facebook.com/TLTlion/
 


台北市大龍峒金獅團




[永樂聴]

「永樂」とは、日本統治時代に大稻埕にある永楽町のことです。
ここは、文学やアートの集まり場であり、演劇、音楽や歌が常に触れる、文化が活躍しているエリア。永楽町から素晴らしい音楽と歌声をみなさまに聞いてもらいたいので、永樂聽にしました。芸術監督の柯銘峰先生は、ベテラン劇曲楽師であり、劇曲専門学院の教師を勤めています。優秀な若者を集め、伝統音楽団体を結成しました。
 

永樂聴


 

 

 [御座楽]

御座楽は、琉球王朝時代、王府の儀式や冊封儀式、冊封使歓待行事などで奏楽されていた琉球王朝音楽で、国王(御主加那志前)の御前に正座して奏されたので御座楽と称されています。
中国明代に琉球に伝わり、清代までも続く、明清音楽で、中国楽器中心で奏楽されました。1879年の琉球処分以降、王朝では公式演奏の機会も無く、先の大戦で首里城が消失し、御座楽関連楽器も全て失い、幻の音曲となりました。1992年11月3日に首里城復元に伴い、御座楽も復元が試みられました。


[琉球王朝禮楽御座楽研究会]
琉球王朝禮楽 王府御座楽研究会は、1992年11月3日復元された首里城で翌年正月新春の宴での王府儀式に演奏し、以来25年王府儀礼の音楽演奏団体として伊是名の尚円王生誕地や公事晴明等で演奏してます、この度台湾北菅音楽団との交流公演にあたり、中国由来の古楽が琉球台湾で相違や共通点の有無が拝聴できる事を大変期待しております。
そして向後音楽芸能文化の交流が深まりますよう台湾からの客人を歓迎いたします。




 [琉球王府路次楽]
琉球王朝時代、琉球国王や王妃等が、王府行事で場外へ出る折に、奏楽される道行音楽で、主に吹、打奏楽器中心で編制されています。中国明代に琉球に伝わり、江戸上りでは琉球人行列の先鋒として江戸街中でも演奏されました。また、那覇港を下船した冊封使一行が首里城までの道のりを、路次楽を先頭に行列して首里に向かいました。


 



[玉城流翔節美智子乃会]

会主の前川美智子先生は、4歳の頃から宮城流初代家元で名優の宮城能造師の下で舞踊の手ほどきを受けたのち、11歳から玉城流翔節会、玉城節子家元に師事し、58年間に渡り、フランスやオーストリア、アメリカのケネディセンターにスペシャルゲストとして参加など、国内外の公演に参加、琉球舞踊を通して沖縄芸能の発展に尽力しています。舞踊集団「大太陽」や、故郷の伊是名尚円太鼓の創設と指導にあたり、多くの有能な舞踊家を育ててこられました。琉球古典芸能コンクール(琉球新報社主催)最高賞、1982年に玉城流翔節会家元、玉城節子師匠から教師免許を授与され、1984年に舞踊道場を開設されました。2004年には、国指定重要無形文化財(伝統舞踊保存会)の伝承者に認定されています。2009年には伊是名村文化・スポーツ功労者として表彰されています。
・2015年 琉球新報社主催 琉球古典芸能コンクール審査員。
・2017年 沖縄芸能連盟理事を預め現在にいたっている。
 

 

[座喜味棒]

沖縄は古来、歌や踊りに限りない愛着を持つ反面、武を尊ぶ島でもありました。
沖縄の武術は空手を基調として、棒やサイ、カマなどの身近な道具を武具とし、それらを種々に組み合わせて独特な武術を編み出しています。守りを主体におきながら、守りに攻撃を応用するといったパターンをとっており、結果的には積極的な攻撃を内包する武術になっています。読谷村の座喜味に伝わる棒術にも、こうした沖縄武術の独特の要素を備えています。その役割も個人の自己防衛だけでなく、字全体の形成であり、それに加えて座喜味棒が体の鍛錬、技の奥義を極めることを通して村全体の防衛を志向しているとした場合、座喜味の棒術は個を乗り越えて全体を目標とするところの、素朴ではありますが、農民の確たる結びつきと村落共同体の根強い意思を感じます。
座喜味の棒術は約500年の歴史を持ち、座喜味城主護佐丸公の時代から普及したと言われています。一度は途絶えかけましたが、1880年に部落出身の山城平三氏によって復活しました。
棒は3尺も使用しますが、6尺棒が中心です。型は11種類もありますが、特に牛若流(ヤイ棒)は、棒術の奥義を極めたもので、少なくても4ヶ年以上も修行を積まないといけないと言われています。姿勢、技、心気の3つが棒術習得の基本になっています。(座喜味棒保存会、初代会長 照屋清松先生の説明より抜粋)



 



[エイサーとは]

 17世紀に沖縄へ渡ってきた京都・浄土宗の僧侶袋中が、念仏歌を基にしてつくられた念仏踊を起源とする説が有力であり、人形芝居「京太郎(チョンダラー)」をしながら各地を回る念仏僧(ニンブチャー)によって庶民に広められたとされています。 後に旧暦の7月15日にあたる旧盆(ウークイ)に先祖先の霊を供養する行事とされ、青年男女が集落内を踊り巡り、各家の無病息災、家内安全、繁盛を祈り踊ることを本来のエイサーとしています。 近年では沖縄の伝統芸能とされ、各区の青年達がその演舞を競い合い区をアピールする熱~いもの、それが「エイサー」なんです!!!またエイサーという呼称は、念仏歌のはやし「エイサー、エイサー、サーエイサー」からきているとされています。


[座喜味エイサー]

  座喜味エイサーがいつ誕生したかは定かではありませんが1913年に、
これまで盛んに行われていた座喜味エイサーが『読谷村産業10年計画』により禁止させられた事から、戦前より長い歴史があることは事実です。
そして沖縄戦を終え1956年に、40年以上も行われていなかったエイサーを座喜味婦人会が復活させました。そして1959年に婦人会から青年会へとエイサーを引き継ぎ座喜味青年会エイサーが誕生したのです。 座喜味青年会エイサーが誕生して現在まで、座喜味エイサーの伝統を守り続け曲や踊りの型をそのままに、座喜味にしかない独自のエイサーを演舞し続けています。
また、座喜味青年会は1946年に結成してから現在までで、結成72年を迎えました。

座喜味青年会

http://www.geocities.jp/zakimiseinenkai/index.html


座喜味エイサー 



[馬場克樹  総合司会(中—日通訳) ]

1963 年仙台市生まれ。北海道大学文学部文学科中国文学専攻課 程卒。中国上海の復旦大学に日本政府派遣交換留学生として二年間留学。国際交流基金北京文化セ ンター所長補佐、シドニー文化センター副所長、日中センター事務局次長、財団法人交流協会台北 事務所文化室長(大使館の参事官に相当)を歴任。退職後、2012 年より台湾に移住。音楽のライブ パフォーマンス、他アーティストへの楽曲提供、俳優業以外にも、メディアのインタビュアー、ラ イター、イベントの司会、会議のモデレーターとして幅広い活動をしている。


 [新里美玲(日ー中通訳)通訳]
琉球華僑総会理事。沖縄在住30年。
台湾と沖縄、両方の文化に精通している沖縄在住台湾人。 通訳、旅行業、美容関係など幅広いフィールドで活躍している。
※13日、講座のみ参加になります。


[今回の企画実施にあたり]
2015年7月に、琉球王朝禮楽御座楽研究会の皆さまが台湾にお越しになった際、臺北市立國樂團との交流を行いました。琉球御座楽の存在を知った台湾の関係者から昨年末になり、『類似する部分が多いいので、もう少し交流を深めたい』とのお話がありました。台湾の伝統芸能も沖縄同様に、福建との関わりがあり、音楽や楽器など共通するものが多く、沖縄のことにとても興味を持ってくれていました。
台湾城市国際文化交流協会を主催する范さんは、台北市の迪化街で沖縄三線同好会の交流拠点となる『拾肆號洋行』を運営しています。
『拾肆號洋行』では、台湾の伝統音楽を専門に学んで来た『永樂聽』の皆様が、地域の方々やハンディキャップを持つ子供たちに、沖縄三線の練習を通して、沖縄文化の魅力を発信してくれています。
また、台北市保安宮を拠点とする和華樂社(北管楽団)や『大龍峒金獅團』の皆様も、国際交流を行うことで人文の元を確かめ、保生文化祭など通じ、地域の文化活力を生み出そうとしています。
 
その昔、察度の使者として読谷から出航した『泰期』は、大交易時代を切り開き、その後の琉球国では、冊封使を国賓として歓待するために『琉球御座楽』や『路次楽』、『琉球舞踊』琉球芸能がつくられました。
文化交流事業の実施にあたり、「文化むら」づくりを目指し歩んできた読谷村は、とても重要な地域。読谷村長をはじめ、座喜味棒や沖縄少林流妙武館空手道の皆様は、数年前から台湾との武術交流も行なっており、今回の文化交流実施に大変理解があり、暖かく迎えていただき読谷座喜味での開催が実現しました。
琉球王朝禮楽御座楽研究会の大城泰一(胡城)先生や、王府路次楽の喜名盛昭先生、伊是名出身の前川美智子(玉城流翔節美智子乃会会主)先生にも、伝統芸能交流の趣旨に関して大変ご理解頂き、心良く受け入れにご協力いただくことになりました。

公演と講座を通して、沖縄ー台湾、双方ともに文化の起源をたどる事で、沖縄・福建・台湾とのつながりを再認識し、次世代に向けて、相互理解と伝統文化の素晴らしさを伝えて行きたいと考えています。
お時間ある方は、是非とも足をお運びください。 

你好我好有限公司:伊禮 武志